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「今までに大きな病気とか、アレルギーとかは?」
「……………」
「…古家さん、必要な事は喋って貰わないと困るんだよ」
「……………」
「なんで喋ってくれないんだ?」
「……………」
歩は一応時間を置き、待ってみたが無駄なようだった。
歩は診察を終えるしかなかった。
もう自分の病室に戻ってもいいと言うと、
貴愛は黙ったまま診察室を静かに去って行った。
***
どうやら自分は死ねなかったようだ。
生きていても仕方がないのに、これから何をすればよいのだろう。
何の意味があるのかもわからない精神安定剤や、
入院や検査も、自分には必要がないというのに。
ただ生かされている事に喜びは感じない。
死を選びたかった以上、望む事は何もなかった。
他の医者や看護婦に比べて、
木陰とかいう医者の態度は冷たく感じた。
しかし、それもどうでもよい事に変わりはない。
それよりも窓から見える海の景色と、潮風の方が、
今の自分には苦痛だった。
どうしてあの海から、舞い戻って来てしまったのだろう。
貴愛は窓のカーテンを閉めて、無表情のまま涙をひとつこぼした。
***
歩が病棟の廊下を歩いていると、
偶然、貴愛の姿を見かけた。
すると貴愛は当たり前のように男子トイレに入って行った。
さすがに歩は呆気にとられた。
そういえば今着ていた服も売店で見かけた事のある、
男性用の寝巻だった。
服装や持ち物が男性のものだったのも不思議だったが、
まさか男子トイレに入るとは思っていなかった。
歩は少し、その場に立って考えてしまった。
少しすると貴愛が男子トイレから出て来た。
足取りがおぼつかないな…、と思った瞬間だった。
貴愛がふらっと体制を崩した。
歩はとっさに走って貴愛の体を支えた。
「……だ、大丈夫か?」
貴愛は少し息を乱していたが、
呼吸をゆっくり整えると、初めて歩の顏を見た。
歩は初めて貴愛と目が合った事に気付いたが、
それよりも貴愛の瞳に一切、生気のようなものがないのが、
想像以上に危うく感じた。
貴愛は歩の腕から手を離し自力で立ってみせると、
ぺこりと微かに頭を下げた。
歩は少し驚いた。
貴愛が初めて見せた意思表示だった。
しかし貴愛はそれ以上、何かを表現する事なく、
その場を去って行った。
***
しばらくすると貴愛は院内であれば小さな庭に出る事も、
外来病棟や売店などへ行く事も許された。
貴愛は生理用品を買いに売店へ向かった。
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