第六章

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枕元に置いた携帯が静かに振動した。慌てて、アラームを切る。カーテンの隙間から僅かに溢れる光に、静かに寝息を立てる榊の顔がうつる。 榊が目を覚まさない様に、静かにベッドから抜け出した。手早く着替えを済ませて、部屋を出る。 出勤時間を逆算しても、ほんの少しだけしか余裕は無い。足早に、ホテルのロビーを歩いて客待ちのタクシーに飛び乗った。 眠ってしまわないで帰れば良かったと、少しだけ後悔する。けれども、心地良い疲れと榊のぬくもりで眠る誘惑には勝てなかった。 数時間で、同じオフィスに出勤する。けれど呼び出しでも掛からない限り、偶然に顔を合わせる事など稀な事だ。 その点は、少し気が楽ではある。平静を装う事は難しい事では無いだろう、それは榊も同じだ。 良くも悪くも、私達は大人なのだ。仕事に情を挟む程、愚かでは無い。 部屋に戻ると、急いでシャワーを浴びる。隅々まで残る榊の感触を、洗い流した。 セットして置いた珈琲の薫りが部屋に漂っている。予定よりゆっくりと珈琲は飲めそうだ。 下着にバスタオルを肩に掛けただけの姿で、キッチンへと向かう。カチャリと食器棚の扉を開ける。 下から二段目、並んでいるのは…蒼のカップ。小さく溜め息を漏らしてしまう、蒼のカップに手を掛けて…元に戻した。 少しだけ奥に押しやった、以前のカップを取り出して、食器棚を後ろ手に閉めた。 わざと時計を眺めて、仕事モードへの切り替えをする。榊の事も、蒼の事も、今は考えたく無い。 全てを恋愛に捧げる事は、私にはできそうにない、いや、そうしたく無いだけかもしれない…
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