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「ふざけないで。あたしのパンプス、持って来なさい」
教師生活1年目。
行きつけの居酒屋で、浅海さんと飲んでいた。
真上のオレンジの照明を眩しく感じながら、カウンターで焼酎片手に心地よく酔っていた俺の耳に、懐かしく澄んだ声が響いた。
何の気なしに振り返ったのが運の尽き。
座敷の縁に座り込んでいた女性が、ストッキングの足をぷらぷらとさせながらトイレの前を指し示していた。
女性とトイレの間には、戸惑い顔の若い男。
俺と同じくらいだっただろうか。困った顔をして女性を見ている。
トイレの前に、確かにパンプスが落ちていた。
女性の顔を見て、ああこの人の仕業だろうな、と納得したものだ。
──桐谷流華さん。
だいぶ昔に結婚したはずのこの人が、代教を引き受けたのをきっかけに教職に就いたことを、高校のとき世話になった先生から聞いて知っていた。
つくづく、この人とは縁があるらしい。
ふざけてるのはあなたでしょうに、とツッコミを入れてやりたくて立ち上がった俺は、完全に酔っ払っていた。
浅海さんが不思議そうに見上げてきたのも構わず、俺はトイレの前に落ちていたパンプスを拾い上げ、呆然としている男を通り過ぎ彼女の前まで行った。
「……同僚? あまり人様を困らせないように」
少し恥ずかしい思いをさせてやろうと、俺は跪く。
驚いて目を見開いている流華さんの足首をひょいと掴み、俺はまるで高貴な女王様にそうするようにパンプスを履かせた。
「ち、ちょっと、仁志くん!」
だいぶ酔いが醒めたのか、慌てる彼女の声が面白かったのを、覚えている。
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