193人が本棚に入れています
本棚に追加
『はいはい、お待たせしました。体育科のアサミですが』
その声を聞いた瞬間、あたしの心臓がドクンと跳ねた。
目と口の中が一気に乾いた。
動揺のあまり口をパクパクとさせるだけで、声を出すことができない。
それを不審に思ったのか、アサミ先生──いいや、浅海先生の声がワントーン低くなる。
『……もしもーし? 浅海ですけど』
そんなことは判っている。
あたしはカッと頭に血が上るのを感じて、そのまま受話器を置いてしまった。
呼吸を止めていたことに気付いて、途端に咳き込む。
声フェチである自分の耳を、なめてはいけない。
あれは紛れもなく、昔に会ったことのある人間の声だった。
──浅海さんという男性は、“彼”の先輩だった男だ。
浅海さんと“彼”はとても仲がよかったはずだ。
あたしは思わずその場にしゃがみ込み、口を押さえる。
“彼”本人じゃないんだから、そんなに動揺しなくていい。
混乱する頭で必死に考える。
“彼”は教師になるため、教育学部に通っていた。
浅海さんは同じ学部の先輩だと言ってたじゃない。
浅海さんが高校の教師という職業に就いていたところで、何を驚くことがあるの。
しゃがんだまま深呼吸を始めたあたしは、別の心配をしなければならないことに気付いた。
.
最初のコメントを投稿しよう!