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浅海さんがそれきり黙ってしまったのをいいことに、俺はいつものように窓の外に視線を走らせる。
あてなく暗い道路を見ながら、昔額田先生にそういうことを言われたことを思い出した。
『男はいつか絶対、これっていう女に捕まるもんだ』
だけど、俺はもう誰かに捕まることなんてない。
流華さんとの関係の中で、彼女をいとおしく感じることは何度もあった。
だけどそれは、あの身体全部を動かすような衝動をはらんだものじゃない。
流華さんでも俺の心はもう動かなかったんだ。
他のどの女が俺の前に現れても、同じ。
俺の人生の何もかも、自分の意思さえどうにでもしてくれていい、と思ったのは陽香だけ。
その陽香を自分から切り捨てた俺には色恋沙汰なんて、もう遥か遠くの対岸の──異国の出来事と等しい。
誰かのものになっている姿など見たくないけど、あの最高の笑顔を一度でいいから、見てみたい。
叶うべくもない、そんな薄い望みだけど──。
物思いに耽りながらぼんやりしていると、辺りの景色が見慣れたものになってくる。
そろそろ着くな、と思った瞬間──。
嘘のように、流れていく景色がコマ送りになっていった。
眼球が痛くなるくらい、目を見開いているのが自分でも判る。
思わずバン、とガラスに手をついた。
ラベンダー色の、光沢のある女性物の傘。
どうして俺がそんなことを覚えていたのか判らない。
だけどあれは昔、俺が彼女に渡した傘だ。
バイト先で処分するはずの傘の中から、一番綺麗なものを選んで差し出した──。
スローモーションの中で、風がふいて傘がふわ……と浮き上がる。
驚いたように身を竦め、肩までの髪をなびかせて小さく口唇を尖らせた女性の顔が見えた。
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