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「それと」
低く、どこか甘やかすような声の響きもそのまま。
誰にでもそんな声で話してるの、と問い質したくなってしまう。
そんな感情が当たり前のように胸を過ぎって、どうかしている、と打ち消した。こんなの、まるで嫉妬だ。
「……顔が見たくて」
ふ、と語尾に溜め息のような笑いがついてきて、身体の中のすべてがぞわりと波立つ。
なかったことにしよう。そんな勢いで、忘れようとしていたのに。
たった一言のささやきで、ずっと押し込めていた彼の跡が心の表面に生々しく現れて、胸がヒリヒリと痛み出す。
昔負った、消えたはずの傷痕が、体温が上がるとうっすらと浮き上がってくるように。
「それとね、意地でも答えてもらうけど。何なの、“岳ちゃん”って」
低く甘いささやきに鋭角の影が映り、ハッと我に返る。
仁志くんの声だけでそのまま酔ってしまいそうだった自分を人知れず恥じながら、彼を見上げる。
「し、しつこいよ……!」
恥ずかしさと後ろめたさを隠すために、吐き捨てるようにそう言った。
言った後でその語気のきつさに自分で後悔したものの、覆水は盆に返ったりしない。決して。
仁志くんの眉根がじとりと寄せられ、彼の足が一歩あたしに進められる。
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