背徳の記憶。

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   俺のこの数日間の疑問は、思いも寄らないかたちであっさりと解消された。  ──あの、おかしなメールの送り主が誰か、ということだ。  人生というものは、本当に奇妙なものだ。  みんな普通の顔をして毎日を送っている。その普通を保つために、いくつもの軌跡と偶然が重なっていることにも気付かずに。  あの時もし、ああいうことがなかったら。あの時もし、ああいうことをしていたら。  自分がまるで綱渡りのようにその日々を過ごしていたことに気付くのは、その“普通”を踏み外してしまった少数だけだ。  それが運のいいことなのか悪いことなのか、俺には判らない。  踏み外したその先にもたらされた結果が幸運なのか不運なのか、それは本当に人によって違うはずだから。  うちの学校の事務員さんが昼食に中途半端に温めた冷凍ギョーザを食べていなかったら。  そして、腹の調子が悪くなって席を外していなければ。  浅海さんのクラスに転校生が来る予定がなかったら。  俺が把握できるだけでも、3つもの偶然がそこにあったと思う。  その電話を受けたのは、幸運にも浅海さんだった。  今度彼のクラスにやってくるという転校生の資料を受け取るため、浅海さんは事務室を訪れていたのだ。  腹を壊した事務員さんに電話番を頼まれ、浅海さんは事務室の煎餅を片手に電話の前に座っていた。  その時間に電話が鳴ることは、あまりないはずだった。  が、事務員さんが席を外していたほんの10分の間にその電話は鳴らされ、浅海さんが受けることとなった。 “海棠高校の化学教師が、善良な市民をストーキングしている”──という、告発電話を。 .
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