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桐谷先生は、ただの人妻じゃない。彼女は仁志くんの昔の恋人だ。
仁志くんと付き合っていた時、彼女にあたし達の間をかき回されそうにもなった。
仁志くんの過去を気にしていた時の出来事だったから、少女だったあたしに桐谷先生の存在はこたえた。
その時の青臭い痛みまで疼いてきて、またしゃくり上げる。
困ったように、仁志くんはおそるおそる指先であたしの涙を拭う。
「……そんなに苦しかったなら、どうしてあたしと会おうとか思いつかなかったの」
「……そうだね。後からそれは思った」
「責められるのが、怖かった? そんなに、怖かった?」
「怖かったよ、そりゃあ」
仁志くんの眉が、悲しげに寄せられた。
コクリ、と仁志くんが息を呑んだ音が響く。
彼の感情を何ひとつ見逃すまいと、あたしは見つめ返した。
「他の誰に言われるより、陽香に言われたらもう立ち直れないよ。もういらない、とか」
──いらない。
仁志くんの口から落とされたその言葉は、あたしの胸に酷く痛く響いた。
そんな哀しい言葉を、どうしてこのひとにぶつけることができるの。
仁志くんがそう思った理由があるのなら、それを教えて欲しいくらいだと思った。
それとも、7年前一生懸命仁志くんに応えていたつもりだったけど──それでは、いけなかったの。
まだ、足りなかったの。
それとも、やっぱりあたしじゃ駄目だったの。
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