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「一度起きたことは、なかったことにはならない。お前の学校の女生徒が男子校のガキにされたことはもう覆らないし、消えやしない。今、俺のそばで怯えてる彼女が味わっただろう不安も、恐怖もな」
比較的落ち着いた声でとろりと唄うようにそう言うと、中居さんはあたしから視線を外す。
それはあたしへの興味を失くした瞬間のようにも思えたし、また、いたたまれなさから逃れた瞬間のようにも思えた。
そのどちらかはかりかねて、あたしはまたいつの間にか滲んでいた涙をグイッと手の甲で拭う。
中居さんは何かこらえ切れなかったのか、クスクスと笑い出す。
「さて、ね。俺はもうどこかおかしいのかも知れないよ。気をつけた方がいい。何たって坂田先生のお姫様は今──俺の手の中、だ」
悔しさと腹立たしさがあたしの身体の中でねっとりととぐろを巻いて、腹の底に黒く重いものが少しずつ溜まっていくようだった。
それを知ってか知らずか、中居さんは満足そうに溜め息をつく。
その恍惚とした息遣いに未知のものを感じて、ぞわりと背筋が寒くなった。
「約束、しておいてやる。お姫様は保険代わりに俺の手元に置かせてもらう。指一本触れない。坂田先生は校内のどこかにいる俺のお姫様を探し出して、彼女からこの場所を聞き出せ。タイムリミットは──20時。20時までに来なかったら、こっちで預かってるお姫様の安全は保障しかねる」
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