真っ黒の淵。

9/28

198人が本棚に入れています
本棚に追加
/28ページ
  「仁志くん……」  無事だと伝えたいのに、それを口にすればますます彼の感情を煽ってしまいそうで、涙を堪えながら息を継いだ。 『大丈夫なのか!? 怪我はない!?』 「だ、大丈夫。かすり傷ひとつない……と思う」 『本当に……? 今、どういう状態なの』 「手と、足を縛られてる……それ以外は何も変わってない」  手足を確認しながらそう言うと、仁志くんはほっと息をつく。  安心したというよりは、呼吸を仕切り直したようだった。 『……ごめん。陽香。俺のせいだ。俺のせいで……』 「仁志くん……」 『すぐ、行くから。すぐに助けに行くから……!』  怒りで、仁志くんの声が震えた。  目の前で電話を持つ男が怖くないと言えば、嘘になる。  けれどもし、この手が、足が自由だったなら──思い切りこめかみの辺りを狙い、そう固くはない拳を叩きつけて、臑を蹴り上げて──そうして、逃げることを試みるのに。  あたしがそういう意思を持って見上げると、中居さんはおかしそうにまたふっと笑う。  一見不愉快な中居さんのその笑みは、この状況そのものを愉しんでいるように見えた。 .
/28ページ

最初のコメントを投稿しよう!

198人が本棚に入れています
本棚に追加