其ノ一 偖の噺

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「何を言うか! 命とどっちが大切だ!」 「資本主義のご時世、命一つあっても何もできやしねえんです! あれが無けりゃあたしらはおしまいなんです!」 「命こそが最大の資本と知れ馬鹿者!」  とは言っても、何をするにも法に触れて仕方がないこの世の中で、命一つで何ができようか。事実この商人の言うことにも一理ある。  どうしたものか、今から警官隊を呼びに戻ったところで、その間にこの商人が何をしでかすのか分かったものではない。ならば致し方あるまい。おれ達でこの雌のイ を追い払う他は無いのだ。  だが、雌のイ に睨まれるや否や、この商人は後生大事に娘を抱きかかえたまま情けなく腰を抜かしてしまった。相手はケダモノとは言え小柄な女子供だ。人間の娘っ子だと思えば何も恐れることなど無いではないか。  すると雌のイ はこちらに向き直り、腰巻きに挿していた小さな石の鉈を抜き取った。低いうなり声を上げる。食事の邪魔をするなとでも言っているのだろうか。虎視眈々と狙いを定めて裸足でにじり寄る様は正しくケダモノ。然しものおれですら恐怖を感じざるを得ない。  しかし退いてはならぬと思い、おれは足元から適当な小石を拾い上げて、雌のイ めがけて放り投げた。
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