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 自分を覚えていない亜希に愕然としたあの日、逃げるように病室を後にするので精一杯だった。  ――本当はあの場で泣き叫びたかった。  ――本当は「嘘だろう?」と両肩を掴んで揺さ振りたかった。  しかし、それを内田や亜希の父親の手前、行うことはなかった。 (さも平気って顔をして……。)  口では「亜希のために」と言いながら、「自分の事を思い出してほしい」と言う想いだけで亜希の傍にいる。 (亜希がいないとダメなのは、俺の方だ……。)  ぐいと掌で涙を拭う。  目の周りが擦れて痛い。 「……思い出して欲しいんだ。」  絞るように出した声は、自分でも驚くくらい擦れていた。 「俺の事を思い出して欲しい。……でも、怖いんだよ。思い出した亜希に拒絶されたらって。」  松田は久美子を安心させるように肩をぽんぽんと叩き「二人で話をさせてくれ」と囁くと、二、三歩歩んで久保のすぐ近くで立ち止まった。 「……やっと、腹を割ったな。」  松田は肩を竦める。  久美子はダイニングへと戻っていく。 「ようやくお前に恩返しできそうだ。」  久保は松田の仰々しい言い方に顔を顰める。 「――そんな顔すんなよ。これは、俺の気持ちの問題なんだから。」  松田がニカッと笑う。  そして真面目な顔をすると、目を真っ赤にした久保に語り掛けた。 「縋りゃ良いじゃねーか。」 「……縋る? そんな事、出来るわけがない。」  久保が顔を歪ませる。 「何で?」 「……亜希を追い詰めてしまう。」  松田は首をゆっくりと横に振った。 「あのなー、恋愛なんて、追い詰めて、追い詰められて、みっともなくて、なんぼだぞ?」  松田はそのまま床に胡坐を掻いてどっかりと座る。 「――今までのタカはさ、理性的でみんなの相談役で。……かく言う俺も、何だかんだ言って、頼ってきたわけだけど。とにかく、俺、お前も人間なんだって安心した。」  松田は穂乃香に話す時と同じようにゆっくりと優しく語る。 「――泣きたければ、泣けばいいし、喚きたければ、喚いちまえばいいさ! 人間なんだからさ。お前までそんな張り詰めてたら、亜希ちゃんを支えるお前の方が先に潰れるぞ?」  昔はこんな話し方をする奴じゃ無かったのに、いつの間に体得したのか、松田からは亜希の父親に似た雰囲気がする。
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