39人が本棚に入れています
本棚に追加
/25ページ
自分を覚えていない亜希に愕然としたあの日、逃げるように病室を後にするので精一杯だった。
――本当はあの場で泣き叫びたかった。
――本当は「嘘だろう?」と両肩を掴んで揺さ振りたかった。
しかし、それを内田や亜希の父親の手前、行うことはなかった。
(さも平気って顔をして……。)
口では「亜希のために」と言いながら、「自分の事を思い出してほしい」と言う想いだけで亜希の傍にいる。
(亜希がいないとダメなのは、俺の方だ……。)
ぐいと掌で涙を拭う。
目の周りが擦れて痛い。
「……思い出して欲しいんだ。」
絞るように出した声は、自分でも驚くくらい擦れていた。
「俺の事を思い出して欲しい。……でも、怖いんだよ。思い出した亜希に拒絶されたらって。」
松田は久美子を安心させるように肩をぽんぽんと叩き「二人で話をさせてくれ」と囁くと、二、三歩歩んで久保のすぐ近くで立ち止まった。
「……やっと、腹を割ったな。」
松田は肩を竦める。
久美子はダイニングへと戻っていく。
「ようやくお前に恩返しできそうだ。」
久保は松田の仰々しい言い方に顔を顰める。
「――そんな顔すんなよ。これは、俺の気持ちの問題なんだから。」
松田がニカッと笑う。
そして真面目な顔をすると、目を真っ赤にした久保に語り掛けた。
「縋りゃ良いじゃねーか。」
「……縋る? そんな事、出来るわけがない。」
久保が顔を歪ませる。
「何で?」
「……亜希を追い詰めてしまう。」
松田は首をゆっくりと横に振った。
「あのなー、恋愛なんて、追い詰めて、追い詰められて、みっともなくて、なんぼだぞ?」
松田はそのまま床に胡坐を掻いてどっかりと座る。
「――今までのタカはさ、理性的でみんなの相談役で。……かく言う俺も、何だかんだ言って、頼ってきたわけだけど。とにかく、俺、お前も人間なんだって安心した。」
松田は穂乃香に話す時と同じようにゆっくりと優しく語る。
「――泣きたければ、泣けばいいし、喚きたければ、喚いちまえばいいさ! 人間なんだからさ。お前までそんな張り詰めてたら、亜希ちゃんを支えるお前の方が先に潰れるぞ?」
昔はこんな話し方をする奴じゃ無かったのに、いつの間に体得したのか、松田からは亜希の父親に似た雰囲気がする。
最初のコメントを投稿しよう!