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「――中へ、どうぞ。」
浜川に続いて、久保の姿が目に映る。
亜希は縋るように手を伸ばした。
浜川が制する気配も無かったから、久保も亜希の手を取る。
――冷たい。
指先がひどく冷えている。
久保はそっと亜希の手を両手で包み込むと、凍てついた心も温めるかのように優しく握った。
――温かな手。
心地よい温もりのはずなのに、心の傷が鈍く疼く。
――何も思い出さなければ良かった。
そうすれば無邪気に笑えたのに。
頭痛と吐き気が絶え間なく襲ってくる。
一気に色んな事を思い出した揺り返しかもしれない。
ぐらりと上体がゆらぐ。
久保は慌てて、その体を抱き止めた。
「――ごめんなさい。……何だか安心しちゃって。」
詭弁を久保に見抜かれぬように、目を伏せる。
「顔色が……。」
額の髪は冷や汗に湿気ている。
すると、浜川は予想していたみたいに、「こちらへ」とベッドへと案内してくれるから、久保は亜希をベッドまで連れていった。
「――疲れたでしょう。少し、眠った方が良いわ……。」
浜川の声に、久保の手を握ったまま、力なくこくんと頷く。
「――貴俊さん、眠るまでついててくれる?」
浜川の顔をちらりと見つめて「どうぞ」と言われると、久保は「傍にいる」と答えた。
やがて亜希は意識を手離し、深い眠りに落ちていく。
久保はそんな亜希の頭を優しく撫でた。
きっとたくさん泣いたのだろう。
化粧で誤魔化してはいるが、目元が少し腫れている。
「――ごめんな。」
久保は亜希の耳元で微かに囁いた。
亜希の為とは言え、半ば無理矢理連れてきてしまった事を静かに謝罪する。
(出来るなら、変わってやるのに……。)
亜希を傷つける全てのものを取り払って、真綿で包んで大事にしたい。
しかし、自分は無力で何もしてやれない。
久保は深く溜め息を吐くと、亜希の眠る布団をトントンと叩いた。
しばらくして久保がパーティションから出てくると、浜川は認めた紹介状の入った封書を渡す。
「これは?」
「――病院の紹介状です。」
「病院?」
「……精神安定剤と抗不安剤も、しばらく出し続けてもらうのを勧めるわ。」
「――素直に病院に行ってくれるかどうか。」
「それは私が言ってきかせます。」
今、思い出した内容を再びパンドラの篋の中に封じ込めない限り、話はきっとスムーズに進む。
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