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『――好きなだけ泣けば良い。』
その言葉に心が揺さぶられる。
そんな優しい言葉を言われたら、彼の元に逃げてしまいそうだ。
――だけど。
その想いと同じくらい、高津の姿を見ると不安になる。
――いつか、彼は自分を捨てる。
「一緒に居てくれるのは、彼の気紛れだ」と、不思議と分かっている。
――邪魔になったら。
――彼は容赦なく、私を捨てるだろう。
そう思った途端、辺りの景色が不意に変わって、高層階の景色に一変する。
そして、おもむろに高津に突き飛ばされた。
――降りそぼる春雨。
窓ガラスはその水滴で濡れている。
――ホテルの一室。
恐怖で息が出来なくなる。
と、不意に頭の中に、浜川の優しい声が降ってきた。
〈……進藤さん、私の声は聞こえる?〉
「……聞こえる。」
だけど、どうしたら浜川に助けて貰えるのだろう。
間合いを詰めてくる高津の冷たい眼差しに身体が硬直する。
〈今、どこにいるの?〉
「……ホテルの一室。」
スイートルームなのか、豪奢なベッドが目に入る。
奧にはガウンを纏った中年の男。
〈ゆっくり呼吸をしてみましょう。〉
こくんと頷いて、ゆっくりと深呼吸する。
すると、視線はさっきの視線とは変わっていて、自分の足元で四つんばいになって逃げ出ようとしている過去の自分がいた。
暗い影がゆらりと近づいてくる。
心臓がこのまま爆発するんじゃないかってくらいに飛び跳ねる。
――伸びてくる大きな手。
そこからは無声映画のように、自分は高津に何かを訊ね、ガウンの男が何かを話す。
――助けて。
逃げ惑う自分を救いたいのに、手を延ばしても触れる事は出来なくて、髪を掴まれた自分が、縄で縛られていくのを目の当たりにする。
〈……久保さんがね、近くにいるけど、お話を聞くのに居てもらっても平気?〉
――ダメ。
これを彼には知られたくない。
亜希は言葉には出来なくて、ただ、首をゆっくりと横に振った。
――止めて。
しかし、高津は冷徹な眼差しを向けたまま、にっこりと笑い掛けてくる。
――呼吸が上手く出来ない。
『娯しい時間の始まりですよ。』
――嫌だ、思い出したくない。
亜希は、がたがたと冷や水を浴びせられたように震え始めた。
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