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「――それは出来ない。」  どこに心を置いてきたのだろう。  目の前にいるのは確かに知っている久保の姿をしているのに、そこにいるのは内田の知る久保では無かった。 「――亜希を一旦実家に帰すように高津に伝えてくれ。ご両親が、ひどくご心配なさっていた。」  わなわなと手が震えてくる。  「何で?」という思いが強くて久保の願いを受け入れられない。 「内田、頼むよ……。」  内田は半分くらい一気にカンパリオレンジを飲んだ。 「――直接、言ってください!」  自分の携帯電話で高津の連絡先を表示すると通話ボタンを押して、久保に押しつける。  呆気に取られた久保を尻目に、内田は席を外す。  プルルル、プルルルと鳴るコール音を聞きながら、久保はなんて言って高津と話そうか考えていた。 『――内田? ごめんね。浩介さん、運転中なの。』  だから、亜希の声を聞いた時、久保は頭の中が真っ白になった。 『用事なら、私が聞くよ?』 「――亜希。」  電話の向こうで息を飲む声がする。 『……何の用?』  平静を装っているのだろうが、亜希の声色が強ばったのが分かった。 「――高津に伝言を頼んだら、内田に直接掛けろって言われたんだ。」 『……そう。』 「――ご両親が心配してたから、その連絡な。」 『……うん。』  それだけ言うのが精一杯で久保はうまく言葉が紡げなくなった。  高津の運転する車の助手席で、亜希は何をしているんだろう。  ――今まで高津とデートをしてたのか?  嫉妬心だけは一人前に働いて、邪推までしてしまう。  ――これから、高津に抱かれるの?  柔らかな肌を露にして。  しなやかに体を反らして。  ――嫌だ。  ――そんな夏から急に冬になるような理不尽は。 (君が腕の中(ココ)から去っていくだなんて……。)  久保が長い間沈黙しているのに、亜希も電話を置く気配は無かった。  弁解したい事や伝えたい事がいっぱいあったはずなのに、月曜日の夜と同様、うまく言葉が紡げなくて、ただ互いの息遣いだけが耳に響く。 『――亜希、赤信号だから替われるよ。』 『……もう終わるから平気。』  その声に久保は我に返って声を絞り出した。 「亜希……。」 『――何?』 「幸せに、な。」  それだけ口にすると、電話を切る。  内田の携帯電話をことんと置いて、二杯目のハイボールも一気に飲んだ。
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