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「――亜希を頼みます。」
三杯目のハイボールの炭酸がゆっくり泡を生み、じわじわと弾けて消えていく。
それだけが時を刻む時計のようで、久保は再び押し黙る。
高津の漏れ聞こえてくる声に、耳を傾けていた内田はその時間がひどく長く感じた。
電話の向こうで高津は呆れたように一呼吸吐くと、不機嫌そうに眉根を寄せて呆れ返った声で話した。
「……どういうつもりです?」
呆れたのと嘲りの念で、口元がひどく歪む。
「……あんな事をして、亜希を傷つけたのはあなたでしょうに。」
それでも亜希は久保を求めている。
――それが哀しくて、歯痒い。
絶対に「求められているのはお前だ」なんて言いたくなくて、高津は刺のある言い方をした。
「あなたは万葉さんを選んだ。そうでしょう?」
久保の唇の端が噛み切れて、血がにじむ。
内田はハラハラして様子を見守っていた。
「――ええ。そうです。」
『俺が亜希と居るのはあなたに頼まれたからじゃない。』
「……それでも、頼みます。」
久保にはそれを言うのが限界で、後はティーシャツの胸の辺りを再びぎゅうっと握った。
――身が引き裂かれてしまいそうだ。
『亜希の事なんか、捨て置いたらどうです?』
電話越しの高津の言葉は、ホテルや病院で会った時とは違って、亜希に対する思いやりに溢れている。
『――それだけなら、電話を置かせていただきます。彼女を待たせてますから。』
「ええ……。失礼しました。」
『――失礼。』
プツリと声が途切れて、ツー、ツーと電子音だけが残る。
ググッと胸に込み上げてくるものを無理やり押し込める。
「――久保セン?」
内田の言葉にも、久保は反応せずに「ほう」と一息吐くと、椅子の背もたれに身を沈めた。
「……悪かったな。」
再び、携帯電話を内田に手渡す。
「もう、亜希の事は忘れるよ。」
それから三杯目のハイボールをぐいと飲み、泣きそうな顔をして笑う。
「……もう、忘れる。」
自分を言い聞かせるように繰り返した。
重い空気に押しつぶされて、久保の存在が急激に霞んで見える。
内田は声を掛けることが出来なくて、言葉を失ったまま久保を見つめていた。
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