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「500万」
「……」
小切手をヒラヒラ弄んでいた浅海さんは、クシャ……と手の中に握りしめた。
「呆れて、ものが言えなかったよ。久遠寺菜々子が俺を階段から突き落とした。その口止めに500万って。馬鹿じゃねえの、あの親」
俺は前髪から指を差し入れ、後頭部まで頭全体をガシガシと掻いた。
昨日、俺にああいう話をしてくれたから──久遠寺さん自身も久遠寺の家の被害者なのかも知れない……と思った。
けど、どちらかと言えば俺は浅海さんの苛立ちの方に共感してしまう。
浅海さんは、久遠寺菜々子のことを考えたはずだ。教師として。
けれど、彼女に怪我をさせられたことを飲み込んだのは、一色のためだ。
彼が真剣に一色のことを思っているから──ただ、純粋にそれだけなのに。
久遠寺さんの“責任を取る”って、こういうことなのか。
ずっと腹の中でぐらぐら煮えたぎっているやり場のない怒りが、思わず久遠寺さんに向きそうになる。
けれど、そこで思い直した。急上昇した怒りの温度をゆっくりと下げるように、俺は息をつく。
……たぶん、久遠寺さんがそれしか知らないんだ。
浅海さんの気持ちや事情を察することなく、家長として父親として不祥事をただ踏み潰していく。
浅海さんが、もうひとりの自分の娘の特別な相手だなんて、気付くこともなく。
判らないでもない。判らないでもないけれど──それで浅海さんが傷付くのを、俺は見たくなかった。
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