90人が本棚に入れています
本棚に追加
【Mai】
「冬吾、学校はどう。もう慣れた?」
鏡の前で口紅を塗りながら、ツバメが言う。
「さあ」
僕はわざと荒い音を立てて椅子から立ち上がり、そのままリビングを出た。自分の部屋に入るなり、乱暴にドアを閉めて、ベッドの上に仰向けにダイブする。
僕の意見なんて一つも聞かずに離婚を決め、パリに戻ることに決めた癖に、何が今さら学校はどうなんだろうか。
ツバメには本当にうんざりだ。いつも自分のことしか頭にないのに、時々思い出したように母親のフリをしたがる。
幼い頃からパリで育ち、フランス語を話して育ったツバメは、日本語が不得意だ。特に読み書きは壊滅的ときている。
だから僕は幼い頃から、ツバメとはフランス語、父親とは日本語で会話をすることを強いられてきた。学校もインターナショナルスクールに入れられたし、家での生活もフランス流だったから、パリでもさほど困ることはないが、馴染めなさは感じている。
枕元に積まれた本とトランペットを持って、僕は部屋を出た。
「冬吾、どこかに出かけるの? 私は夜、仕事でいないわよ」
身支度が終わったのか、ボディーラインが際立つ深紅のドレスを着たツバメが、後ろから話しかけてきた。
仕事がなくても家にいたことなんかない癖にと、呆れを通り越して苛立ちを感じた。
「図書館に行ってくる」
「また図書館? あの人に似ているわね。そんなに本が好きだなんて」
煙草の煙を吐きだしながら、ツバメは肩を竦める。煙のせいで頭痛がして、僕は顔をしかめた。
「ツバメも少しは読んだらもう少しまともな男が見つかるのに」
「冬吾!」
ヒステリックなツバメの声を無視して、部屋の外に出た。地上階まで下りると、ツバメを迎えに来たと思われる男が立っていた。壁にもたれながら煙草をふかしていたそいつは、僕の顔を一瞥し、興味なさそうにまた煙草を口に咥えた。
いかにもツバメが好きそうな男だ。ツバメ目当てなのか、芸術に理解があるのかわからないパトロンなんて、どのみち好きにはなれない。
僕は自転車に跨り、すぐにアパルトマンから離れた。
最初のコメントを投稿しよう!