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離れに近付くとすかさず母屋から見えにくいように裏へまわり、庭からそうっと縁側の様子を覗いた。
シンとしたそこは誰もいないとしか思えず、さっきまでのドキドキとした高揚感は徐々に治まってしまった。
ジャリ。縁側付近の砂利を踏みしめ、少しずつ近付き縁側から中に入る。
そっと障子を開け、中を見る。
ーーーーー誰もいない。
少しがっかりして、そのまま奥の部屋の襖を開け中を見るや固まった。
「----っ!!」
そこには黒く艶やかで長い黒髪をうねらせ、母ですら着たことの無いであろう質の良い着物に身を包んだ女性が、置物のように座っていた。
絵本のかぐや姫が抜け出たかのような格好をした女性は、脇息にもたれながら飾窓から外を見ていた。
フッと彼に気付くと、
ふわり。極上の笑顔をむけた。
「---だぁれ?」
鈴の転がるような声とは、この事を云うのだと、後に彼は気付く。
「そこに誰かいるの」
確かに自分を見ているはずの彼女は、おかしなことを言う。
「誰か・・・いるんでしょう?」
そう話しかける彼女の眼は、何も映さないガラスのような瞳をしていた。
ーーーーー
なにも言えずに立ち尽くしていると、スッと立ち上がりこちらへゆっくり歩んできた。
彼女が歩むたびに、チャリ、チャリと鳴る音を訝しがりつつもただ、近付いてくるのを眺めていた。
すうっと手を左右に動かしながら自分に近づいてくるその女性に、ただただ目を奪われていた。
ふわり、彼女の手が彼の頬に触れ、その甘い香りに包まれる。
「座敷わらしかしら・・・?」
そう言って鈴のようにコロコロと笑う。
彼女の香りに包まれて、ムズムズ何とも言えない気持ちになってしまった。
するっと彼女が離れ、
「ここにはもう来ちゃだめ」
そう言うとまた元の位置に戻ろうとする。
「あ・・・の!」
必死で声を出すと
「どんな花が好きですか」
そんな事しか聞けなかった。
「・・・撫子」
そう言って元の位置に戻ると、今度こそ人形のように動かなくなってしまった。
ナデシコ・・・
その言葉を宝物のように胸にしまって、彼は湧き上がる甘酸っぱい気持ちを抱えながら、母屋へと戻ったのだったーーー
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