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ここにきて初めて他人に接触した気がする。ウキウキとした気持ちが湧き上がるのと同時に、あの子供の再訪をどこか期待してしまった。
でもーーー駄目。
愁一郎に知れたらと思うと、恐ろしくてたまらない。
自分がここに、愁一郎に囚われた時から。
自分がこの離れの花となった時から。
もう自分には自由がないのだと、それだけは絶対なのだと。
それ以外の生き方すら分からない月華でも、身に染みて分かっていたのだった。
「ないなぁ」
本宅の屋敷内。子供が花瓶を一つずつ確認しては、溜息をつく。
「雪(セツ)坊ちゃん、何かお探しですか」
通りかかった使用人が聞いてくるので、尋ねてみた。
「ナデシコってないの?」
「撫子ですか・・・あれは秋の花ですから」
困ったように言う。7月にもなればどこかで手に入るだろうと話して、忙しそうに去って行った。
秋の花。とは言っても夏に咲く花だという。困った、ようやく五月に入ったばかりだ。
『撫子』
そう言ったあの女性(ヒト)---また会いたい一心で、花瓶から花を抜きとり駆け出した。
いるだろうか。早鳴る胸の鼓動を抑えながら、また離れの庭から縁側を覗く。
ーーーーー!!
居た。
彼女は日当たりのよい縁側で、脇息にもたれうたた寝をしていた。広げているその豊かな髪が海原のように散り、五つ衣の重ねの色に相まって一服の絵画のように美しかった。
そうっと近付いて、間近で見てみる。
伏せられたまつ毛は動くとバサバサ音がしそうなほど。軽く朱に染まった頬。つぶらかで熟れた果実のようなくちびるは少しひらいて寝息を立てていて、それがまた艶っぽさを増していた。
そして得も言われぬ艶めかしい香りーーー先日嗅いだ香り以上に甘美な香りがする。そうっとさらに近付いて嗅いでみる。湯上りの匂いだと気付くにはまだ幼い彼は、それでもどうしようもなく湧き上がる自分の感情に戸惑っていた。
高鳴る胸を抑え彼女の唇に吸い寄せられるようにして顔を近付け、その未熟な自分の唇をそっと押しあててみるーーー
甘い。
柔らかく甘いその感触に震え、さらに強く押し当てる。
「!!」
気付かれたのか身じろぎする彼女に我に返り、花を置いて慌てて逃げ帰ってしまった。
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