知識の芋虫は全てを知って

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「なんだ。」 たっぷりと水煙草を吸い上げた後、男の濁声が吐き出す煙と共に降ってくる。芋虫の眼は此方を品定めするかの如く上下に動くと、鬱陶しいと口ほどに物言う。元からこの者の性格であるのか、出会って間もない己には理解できぬが。 「お主に用などない。」 芋虫の視線に姉上が答えると、ふん と芋虫は鼻で笑いまたたっぷり水煙草を吸い上げる。 「卿は随分機嫌が悪いがさて、如何致したか。」 卿、とは主が臣下に使う二人称である筈。つまり此方が目下であり自分が上であると、随分といい性格をしているようだ。観察されているのに気付いてか、芋虫は軽薄な言葉をそのままに己を見やるとなるほどなるほどと口角を上げた。 「御初に御目に掛かる。礼を失し御前罷り越しました事、深く御詫び申し上げます。」 面倒を言われる前に此方から謝罪を入れ頭を下げれば、芋虫はさらに笑みを深くする。 「卿の縁者かいやはや...随分と躾の行き届いた男も居たものだな。飼い慣らされているのか、飼い慣らしているのか。卿も見習ってはどうかね?」 喉の奥で笑い吹き付けられた紫煙は蛇のように首に巻き付き心なしか締め上げられている気がする、が。不快感を顔に出さぬよう腹の奥底に力を入れ悪態も飲み込み芋虫を見据えれば、ほう、と芋虫が声を洩らす。姉上は自分から己に対象が移ったからか、芋虫の相手をせず芋虫の座る紅天狗岳擬きの両端をむしり盗っている。…何なされてるんですか姉上。自由人過ぎます。その茸全身で有毒を訴えてますよ?食べる気ですか。 「己は鏡野有住と申します。宜しければお名前をお聞きしても?」 芋虫の名など毛程の興味もないが、この者の役割には興味がある故儀礼も社交辞令も構わぬであろう。 「名、か。そうだね…貴兄の求めるものを贈るのならば、《知識》とでも呼びたまえ。」 成る程知識と言われればこの高慢な物言いも納得できる。しかし知識が役割ならば教えを乞う者に知恵を与え、助けるのだと思うが。探りを入れても己に利があるわけでもなし、むしろこの者はそれを逆手に。 「それは困りました。貴殿の名称は《芋虫》である、故に《知識》と申されるならば《蝶》であるのが道理では?差し支えなければ芋虫殿の《個体識別名》をお教え願いたい。」 言い切り己の口角を上げれば、芋虫は逡巡したのち顔の半分を越す大口を開けて呵呵と笑い出した。
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