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暮れなずむ港の公園で、松田 明日馬(あすま)はベンチに腰掛けていた。
整った容姿で、道行く女達が横目で観察していく。
癖のない前髪は軽く額に掛かり、黒水晶のように澄んだ瞳で、きつく締まった薄い唇が印象的だった。
年齢は20代前半だろうか。
眉目秀麗な青年だ。
だが、その相貌は、人を寄せ付けない暗さを仄かに宿していた。
心が欠けた傷負い人の風情が、その美貌を際立たせていた。
その痛ましい美貌が、薄く笑みを浮かべた。
前を歩くカップルの恋人が、思わず立ち止まった程の魅力的な笑顔だった。
待ち人のせいだろう。
明日馬は、恋人の徳田 ヒカルを待っていた。
ヒカルの事を考えると、自然に笑みが溢れる。
それ以前の明日馬には、考えられない事だった。
松田 明日馬は、古流剣術家の父 拓馬の一人息子として生まれた。
拓馬が受け継ぐ古流剣術は、念流の流れを汲む『摩利支念流』で、一子相伝で伝承されてきた。
自然、一人息子の明日馬が次期相伝者で、幼い頃から剣術修行を強いられた。
その修業は過酷の一言だった。
明日馬が幼い頃、母は交通事故で亡くなった。
その時、拓馬は涙一つ見せなかったという。
明日馬は憎悪した。
母を殺したのは父 拓馬だ。
いつか殺してやる。それも剣で殺す。
父が継がせようとしている、この憎い剣で殺してやる。
明日馬はその殺意を胸に、父との剣術修行に耐えた。
それしか、唯一の肉親である父と接する術がなかった。
その父が、明日馬が18歳の春に肺癌で亡くなった。
鬼のような父が、亡くなる前は枯れ枝のような四肢になっていた。
「お前が継いでくれー」
それが父の最期の言葉だった。
父が亡くなった後、父の友人の息子で、芦屋という弁護士の下で働く事となった。
働くといっても、剣術しか能のない明日馬なので、用心棒兼雑用係といった具合の仕事だった。
芦屋は若く無鉄砲な弁護士で、ほうぼうに敵を作っては恨まれていた。
もっとも、恨んでいるのが世間でいう悪人だったので、明日馬も殺さない程度に剣術を振るえた。
しかし、明日馬が考えている程、世の中は勧善懲悪ではなかった。
芦屋が弁護した弱者と思われた者が、実は保険金目当ての守銭奴だった事もあった。
逆に、悪人だと裁かれた者が、実は冤罪で嵌められたと判った事もあった。
何が正義で、何が悪なのか、明日馬は悩んだ。
唯一解った事があった。
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