「件の如しー1 件変ノ章」

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ぐぅうぅーー ぐぅぅううもぅももぅーーー そして、ヒカルは顔を上げた! 珠のように白い肌に、内部からジワリジワリと黒い獣毛が這い出しー 艶やかな髪の間から、肉を裂き禍々しい角が生えー 澄んだ水面のように潤んだ瞳は、血走り狂気の色に染まりー 美しい鼻梁は、醜く歪み押し広げられー 可憐な唇は、唾液を垂らしながら蛭のような舌が覗いたー そこには狂った獣ー牛の顔に変貌したヒカルが身を震わせていた。 「ぐももぅーーー!」 ヒカルが鳴いた。 「嗚呼嗚呼ぁー!」 堪らず、明日馬が狂わんばかりに絶叫した。 『悪魔と牡牛が日本にやって来るー!』 牛の顔をしたヒカルが叫んだ。 それは、忌まわしい予言の言葉だった。 救急車がやって来た。 ヒカルに上着を掛け、顔を隠しながら救急車に乗り込む。 救急隊員は手短に状況だけを聞き、ストレッチャーに乗せたヒカルに酸素マスクを付けた。 「被験者α(アルファ)を捕獲、施設に向かいます」 救急隊員が、無線で連絡している声がする。 妙に落ち着いている隊員二人。 一人はヒカルに静脈注射を、もう一人はヒカルの瞳孔を見ている。 ヒカルを心配していた明日馬は妙に思い、落ち着いて隊員を観察した。 静脈注射をしている隊員の拳に、年季の入った拳ダコが見えた。 もう一人の白衣の膨らみに、チラリと黒い銃底が覗いている。 何より、マスクをした隊員の唯一外部に晒された眼が、如実に男達の属する世界を語っていた。 ガラス球のように、何の感情を持たない無機質な眼。 その眼を明日馬は何度も見て来た。 何の躊躇もなく人を殺せる人種の眼。 明日馬が持ち得なかったモノだ。 明日馬が12歳の時、父の拓馬が中型犬を連れて来た。 「その犬を育てよ」 拓馬は言葉少なに告げた。 剣術だけの生活に、初めて心許せる友が出来た。 稽古で泣いた時も、冬の寒さで凍えた夜も、犬に慰められ癒やされた。 半年経ったある日、拓馬が無情に、 「その犬を斬れ」 それだけ告げて、日本刀を明日馬に差し出した。 「嫌だ!」 明日馬は激しく拒絶した。 「お前は肝が薄い。そんな事では、いざという時剣が鈍る」 そう言い放ち、剣を振り上げた。 斬っー 明日馬の目の前で犬が斬られた。 その時の父の眼が忘れられない。 今目の前にいる男達も、父と同様の眼をしている。 男達の身体から発する暴力の匂いが、明日馬の剣士の血を蘇らせた。
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