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「自分は、自分の名前は真鍋といいますー」
「真鍋・・・」
男がそう言い、くたびれた背広のポケットからタバコを取り出し吸う。
そして、一呼吸おき、静かに言った。
「あなたが見た、あの牛の化け物、件の研究者です」
「なんだと!?」
その部屋では、モーツァルトの『魔笛』”序曲”が流れていた。
滔々と、そしてリズミカルに流れる美しい旋律。
ブルゴーニュワインの赤を飲みながら、中世の貴族のような風貌の男が、眼を閉じ聴いている。
初老と覚しき、年輪を重ねた皺のある相貌。
白い顎鬚が豊かで、頭髪も同じく白く豊かで後ろに撫で付けていた。
全身に、紫の法衣を纏っている。
ノックの音がした。
「失礼します、アエーシュマ総猊下」
男が部屋に入って来た。
「報告があります。先程搬入された被験体が、当初α(アルファ)だと思われたのですがー」
「何だ?」
アエーシュマと呼ばれた男が眼を開いた。
その眼は、貴族風の相貌に似つかわしくない獣のような眼光をしていた。
尊大で、不遜で、高慢な、絶対的支配者の如き、鈍い光を湛えた迫力のある眼。
「詳しく検査した結果、Ω(オメガ)だと判明しました」
「なんだと!?」
明日馬が真鍋の話を聞き、驚愕していたのと同じ刻に、アエーシュマも同じ言葉を吐き出した。
数瞬の沈黙。
やがて、部屋に低い笑い声が流れた。
モーツァルトの『魔笛』”序曲”が盛り上がり、華やかに終曲した。
かわりに、アエーシュマの大きな笑い声が、いつまでも止まずに響いた。
まさに、件をめぐる物語の”序曲”が、今終わりを告げた。
「件の如しー2 件鬼ノ章」へ続くー
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