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「こんなとこで一人、何してるんスか?」
普段なら極力自分の人生で関わりたくないと思う風体の菜摘ママに、気がつけば近づき話しかけていた。
今にして思えば、チャレンジャーだったな……俺。
あれは何年前の冬だっただろうか。若輩者のくせに、たまたま連載した漫画が飛ぶように売れだしてろくに睡眠もとっていなかった頃。
空は目の覚めるような雲一つない真っ青な空で。冷たい風が額や頬に当たる。昼間の海は前日雨が降ったせいか少し濁り、太陽の光が乱反射してエメラルド色に輝いていた。
「失恋した女だからって簡単に口説き落とせると思ったら大間違いだよ、坊や」
菜摘ママは、此方を見向きもせずに煙草をふかしていた。
「……いや、失恋したって知らないし。それにアナタ、そもそも女じゃないでしょ」
「初対面で失礼な坊やだねぇ。あたい程オンナって女はいないわよ?」
いやいやいや。どっからどう見ても、アンタ元おっさんだよ。
海風になびく寂しい頭をもってして、堂々と自分を女だと断言する化粧の濃い気だるそうな菜摘ママに衝撃を受けた。
「いや……だって、思いっきりオネエですよね?」
オネエという言葉は、最大限の譲歩だ。
「そりゃ世間はそういう括りかもしれないけど女なの、あたいは。誰がなんと言おうと、どれだけハゲていようがね」
「え。女でいたいならそこはほら、普通ヅラ被りません?」
「虚構だらけじゃ、人は魅力的にはなれないからよ。醜い真実の部分をさらけ出して、それでも他人に認められるようになれば人として合格なのよ」
意味が分かるような、分からないような。でも何故かその時の俺の心に、その言葉は響いた。
菜摘ママは清々しいくらいに自分というものを持っていて。この人って生き方にブレがないんだなと、少し羨ましくなったことを今でも覚えている。その後、小一時間くらい凍えながら、俺は菜摘ママに人生相談にのってもらった。
さっさと仕事場戻れって話だよな。
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