雨の夜

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雨の夜

 夕方から降り出した雨は弱まるどころかますます勢いを増し、でこぼこと舗装の傷んだアスファルトを白く煙らせている。 雪平沙和子は白い軽ワゴンの助手席で窓にもたれてじっと空を見上げていた。 運転席ではジーンズにグレーのパーカーを着た若い男が黙ってハンドルを握っている。 目深にフードを被ったまま、沙和子のことを見ようとはしなかった。 沙和子の長い黒髪は濡れている。着ている白いブラウスも芥子色のスカートもしっとりと雨を含んでいた。 つい一時間前、隣で運転している男に腕をを引かれ、酷い雨の中外へ飛び出したせいだった。  彼女の左手首には、刃物で切れた傷痕が赤茶色のすじを残していた。傷口の血は乾いていたが、細かな血液が錆のように張り付いて痛々しい。 それが見えるのが嫌だったのか、運転席の男がダッシュボードの中に入っていたタオルを投げてよこした。 男が前屈みに近づいた拍子に沙和子の肩がびくりと揺れる。一瞬、男の動作も止まったように見えたが、沙和子に向かってタオルを放るとすぐにもといた場所に収まった。 先ほどから沙和子が窓にもたれているのは疲れているからでも、眠たいからでもなく、狭い車内で出来る限り隣にいる男との距離をとるためだった。 沙和子は今、緊急事態に陥っていた。  車は豪雨のなか片側二車線の国道を走っていた。沙和子は運転免許を持っていない。交通の便の良い場所に住んでいたためとくに不便も感じなかったが、ただその結果、自宅や駅周辺から車で少しでも離れてしまうと、すぐに現在地がわからなくなってしまうのだ。 沙和子は窓の外を眺めながら、ここはどこだろう、車の免許くらい取っておくんだったとひどく後悔していた。    沙和子は裕福な家庭の一人娘として育った。小学校から短大までエスカレーター式の、地元ではお嬢様学校と呼ばれる私立の学校を卒業し、卒業後は就職する間も免許を取得する間もなく、親の薦めで7歳年上の銀行員のもとに嫁いだ。 それからは、子供を出産し、子育てをして、ごく普通の平凡な主婦として過ごしてきた。 見ず知らずの男に、無理矢理連れ去られるような覚えはまったくなかった。  
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