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「なに、なに、なんなのなんなのなんなのよぉ!」
詩織が涙目になりながら、玄関を離れてダイニングキッチンへと走る。
玄関を塞がれていて、どうやって逃げるのか。
思いつきもしなかったが、とにかくあの場所から離れたかった。
電気のついてない部屋は、窓から入り込む月明かりで照らされているのみで、数メートル先すら視認できないほどに薄暗い。
しかし、今はその闇が自分を守ってくれるような気がしていた。
「助けて、助けて、助けてよぉ!」
詩織が、慌てて持っていた携帯電話のボタンを押す。
電話帳を開き、呼び出すのは大石の番号。
しかし、祈るように耳に近づけた受話器から聞こえてきたのは、愛する人の声では決して無かった。
「ネエ、ドウシテ逃ゲルノ……?」
「いやああああああああっ!」
耳に飛び込んできたおぞましい声に、詩織が慌てて携帯電話を投げ捨てる。
なぜ、なぜ繋がらない。
聞きたい、声が聞きたい、励ましてもらいたい、勇気をもらいたい、助けて、助けて、助けて!
よもすれば、気が狂ってしまうほどの恐怖。
いや、彼女にとっては、ここで狂ってしまった方が幸せだったのかも知れない。
しかし、詩織はまだ人生を諦めきれなかった。
流し台の下にある戸棚から長さ30センチほどの刺身包丁を取り出す。
漁業が盛んなこの島の家庭には、ほぼ必ず常備されているものだ。
深呼吸をする。
気持ちを落ち着ける。
死ねない、死ぬわけにはいかない。
まだ、想い人の返事も聞いていないのだ。
恐怖は、身を切るほどに感じている。
しかし、生きる道を切り開くのを放棄することはできなかった。
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