第2話

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幼少~学生時代[編集] 1965年(昭和40年)、東京都練馬区にて2人兄弟の次男として誕生。練馬区立田柄第二保育園から区立田柄第二小学校に入学したが、1976年8月に埼玉県朝霞市へ転居。小学校5年の2学期より、朝霞市内の公立小学校へ通う。父親が防衛庁職員であったため、いずれも陸上自衛隊練馬駐屯地と朝霞駐屯地の近くであった。母親は保険の外交員で、決して裕福ではないが教育熱心な家庭であった。しかし、転校生という理由で同級生から苛めを受けるようになり、一時不登校にもなった。その後ギターを弾くようになり、それがきっかけで苛められなくなった。このことが、後の人生にも影響している。 小学校を卒業すると、本人の強い希望で練馬東中学校へ越境入学。生徒会副会長、文化祭実行委員長を務めたが、喫煙により停学処分を受ける。高校受験では、第一志望で埼玉県内最難関の私立高校であった慶應義塾志木高等学校には不合格だったが、青山学院高等部に合格。さらに、陸上自衛隊少年工科学校の1次試験にも20倍の競争率を突破して合格した。しかし髪を短くしなくてはいけないと言う理由で、既に合格していた青山学院高等部に進学することになった。高校在学中には喫煙やオードバイでの事故などで停学、更に、高校3年生の時に渋谷で同級生達と飲酒した挙句、同じクラスの女子生徒が一気飲みをし急性アルコール中毒で搬送、さらに大学生のグループとパトカーが出動するほど乱闘騒ぎを起こし、無期限停学処分を下される。これがオーディションを受ける契機となる[注釈 3]。のちに停学処分は解けたものの出席日数が足りず留年となり、自主退学。高校在学時には新聞配達[6]と飲食店でのアルバイトをしていた[7][2]。
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