―其ノ肆―

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「今日は、叶さんに謝りに来たんです。今更だとお思いなのは十分承知の上です。自分勝手なのもわかっています。彼女には指一本触れないことを約束します! 万が一にも火傷など負わせないことを保証します! ……だから、彼女に会い謝る許可をいただけないでしょうか」  胸のうちは吐き終えたものの、おばさんからはまだ反応がない。あまりにも長い沈黙が続いたので顔を少し上げてみると――おばさんは、包丁を握り締めていた。 「うわっ、あっ、ちょっ、待ってくださいッ!」 「ん? あぁ、安心して。刺すのはやめたから」 「そ、そうですか……はい?」  その発言はイコールで「先程まで刺す気満々であった」ということを意味している。 「実を言うとね、玄関先で出会った時から気づいてたのよ。アナタが瀬野大介君だってね」 「えっ?」 「それを敢えて気づかないよう話してたの。騙したまま帰るつもりだったら――多分刺してたわ」  ゾッとはしなかった。そのくらいされるかもしれないと考えていたから。  つまり、大介は最初からずっとカマをかけられていたということになる。正直者でいようとした大介は、我が身を助ける結果へと繋がった。 「アナタではなく言技が悪いのも知ってる。アナタが叶を助けようとしたことも知ってる。あの出来事が事故だってことも知ってる。……でもね、そんなんじゃやっぱり割り切れないの」 「……はい」 「長い時間を置いて家を訪ねたのは正解よ。事故後会ってたら、多分その瞬間グサーってやってたもの」  おほほほほ、と上品に笑いながら、おばさんは手に持つ包丁で刺しては抜く動作を繰り返す。洒落にならない大介の顔は、完全に引きつっていた。その後包丁を置いてくれたので、安堵で思わずため息が漏れる。 「アナタのせいで……失礼。あの事故のせいで、叶の人生は壊れたわ。苛められて、気味悪がられて、お嫁にも行けないかもしれない」  大介は複雑な心境で拳を握り締め、黙っておばさんの話を聞いている。 「私はやっぱり、アナタが嫌い。いくら事故だったとしても、その元凶は間違いなくアナタですもの」 「……仰る通りです」 「私が叶へ謝罪することを許したとして、あの子がどうするかわかる?」 「……殴るとか蹴るとか、刺すとか火で炙るとかですか?」 「いいえ」母親は断言する。「あの子は開口一番、アナタを許すわ」
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