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もちろん社会人としては、それを出来るだけ表に出さないようにしようとは思うけれど―――
「どれを取りたいんだ?」
私の真後ろに立って、補佐が上の棚に手を伸ばしていた。
扉は開いていたから、私のしたいことが雰囲気から分かったんだろう。
「えと、キッチン用ハイターを」
突然近づいた補佐に戸惑いながら、またくるりと身体をシンクの方に向けて棚を見上げた。
「コレか?」
ジャンプどころか背伸びもせずに、補佐はスッと手を伸ばした。
私の背後から、洗剤を取ろうとしてほんの少し前屈みになっている。
左手を流し台について右手を上に伸ばす補佐の前に立っている私は、補佐の腕の中にすっぽりと収まる感じになっていた。
もちろん抱きしめられているわけでも何でもないけれど……背後に立つ補佐との距離が近くて、背中が熱い。
あまりにも近いその距離に、耳まで熱くなるのを感じた。
ひょいと伸ばされた手が降ろされると、パタンと扉を閉めた音がして俯いた顔を上げる。
トン
と音がして、流し台の横に取ってもらったハイターが置かれた。
「朝から熱心だな。ほどほどにな」
そのままの距離感で、頭上から補佐の声が響く。
ハイターを取ってくれたその手がふわりと上がって、私の頭上に来た感じがした。
……けれど、その手が私に触れはしなかった。
「片づけるのに困ったら呼べよ」
それだけ言い置いて、補佐は給湯室を出ていった。
触れずに宙を彷徨った手は、何を思っていたんだろうか?
そんなことを思いながら、遠くなった温もりが寂しくて……私は目頭を指先で強く押す。
ハイターを使い終わった後も、私は下の戸棚にそれを収納して補佐を呼ぶことはしなかった。
けれど……そのことについて、補佐から触れられることもなかった。
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