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「それから俺はバカバカしくなって、一度その劇団を潰した。なんだか演劇そのものがつまらなく思えて、しばらくは真面目に講義にも出なくなった。
それに、恵に出来た彼氏の顔なんて見たくもなくて、大学自体も随分サボった」
学生のころの補佐がなんとなく浮かんで、今とのギャップに戸惑う。
サボったり、演劇が馬鹿らしいなんて言うトキ兄が信じられなくて、私は驚きながらもただ黙って話を聞いた。
「といっても、俺は演劇学ぶために学校行ってたわけだからさ。逃げることは出来なかった。逃げるだけ逃げて、しばらくしてからまた普通に通い始めたよ。それが学生として当たり前だけどな。
それでも恵とは目を合わせるのも苦痛だった。それなのにあいつは目立つから視界から消えなくて。何度も目が合っては逸らしたよ」
何度も目を逸らして――それでも多分、また目で彼女を追っていたことは明らかなその話しぶりに、自分のことのように胸が痛む。
今までは分からなかった……好きな人を目で追うってことが。
でも今なら分かる。
私はいつも、補佐を目で追ってるから。
こっそりと、視線が合わないように。
合ったらいいのにとどこかで願いながらも、視線が絡まないように……だから多分、補佐も今の私と同じことを何度も何度も恵さんにしていたに違いない。
そんなことを想像すると、苦しくなった。
過去の補佐を助けることは、私には出来ない。
今は……辛くても聞くことしか、わたしには出来ないから。
ぎゅっとまた拳に力を入れて、俯く。
すると、今まで補佐の声が響いていたこの部屋に静寂が訪れた。
え……と思って顔を上げて補佐を見ると、補佐はとてつもなく苦いモノでも食べたかと思うくらい、苦い顔をしていた。
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