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手の平に爪が食い込む程、体の横で拳を作った。
男の頬めがけて、それを振りかざしそうになるのを耐える。
俺の横を通り過ぎる時、男が低い単調な声で言った。
「女に興味がない奴だと思ってたんだけどな」
「……」
離れていく足音を聞きながらゆっくり歩き出す俺は、廊下の端に座り込んだ堀内の姿を見つける。
この世に存在する汚い言葉を全部吐いて、泣かせて、めちゃくちゃにしてやろうと思った。
“最低だよ、アンタ”
俺が子供の頃、母さんに言えなかった言葉だ。
トイレの前を通って廊下の端まで来ると、角に挟まって両手で口を覆っている堀内を見下ろす。
キツく閉じていた拳から、力が抜けていく。
「ごめんなさい」
見開かれた瞳は、少ない光を映してゆらゆら揺れているように見えた。
「ごめんなさ……」
「堀内」
自分の口から出た声は、思ったよりも落ち着いていて。
足から力を抜くようにして廊下に膝をつく俺は、堀内に向かって手を伸ばすと――
その小さな頭を、自分の胸に引き寄せた。
もう一方の手で薄い背中を抱く。
耳元でまだ、小さな声で謝る堀内。
あれ――なんで俺、この人のこと抱き締めてんだろ。
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