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ーーよかったじゃん。あなたの話を聞いてる人が大勢いるよ。
加代子は内心で、憐れみのカケラもない棒読みの言葉を吐いた。そして、片眼鏡型カメラ電話ーー黒縁の『SHARE』をかけて、玄関先の退屈な日常へとバタバタと飛び出して行った。
西暦2022年。東京五輪のフィーバーの勢いで、ようやく復興も金融も整ってきた日本の教育体制は、ある変貌を遂げていた。
それは、教材の電子化。ただし、臨場感と精神教育の観点から、授業は未だに黒板を使われている。生徒のノートは、タブレットだ。妙にミスマッチな世界観が、生まれる。
先生は教師アプリと俗に呼ばれる、文部省指定のタブレット機能によって、クラス毎にまとめられた生徒のタブレット機能である生徒アプリと呼ばれるものにリンクし、生徒の在欠席を確認したり、生徒の解答をその場でチェックすることが可能だ。
電子化の効率の良さは、教育界に大きな反響を呼んだ。世間に受け入れられるのも早かった。わざわざ大きなバッグを持って、人混みにぶつかって文句を言われることもなくなった。徹底した、歩き電話、歩きタブレット操作の予防が効いているのもあるのだろうが。
それよりも宿題は好きな時に提出できるし、クラス連絡も一斉送信できるのが、強みだ。規律ある中での自由度への意識が高くなったことで、勉強を強制されている感覚が弱まり、日本の学力は復活を遂げていた。
ちなみに、自宅パソコンに月一でバックアップを取ることが校則として定められてる学校が多い。データであるからには、紛失時の代償の大きさはやはりバカにならないのだ。
只今四時限目。加代子は、黙って現代文の問題を解く。やはり、教師アプリから送信されたものだ。ーー人々にとって、志さえあれば、暗い箱の中でも世界を知ることができる。
司馬遼太郎の『対訳 21世紀に生きる君たちへ』の一節。しかし彼女もまた、まさに普通の人間であった。内心で嘲笑した。
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