極光

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極光

世界は、全てが凍えていた。 イグルー(自宅)から飛び出した私は雪原に反射する朝日の金色の輝きに、フラッシュを焚かれたように目を細めた。温かなイグルーの中の鯨肉のいい匂いを忘れる程の壮観。 降ったばかりの雪が柔らかく、足を取られる。あまり母を心配させたくないので、さっさとお目当てのコケモモの実を取って帰ろうと思ったが、疲れてきたので歩くことにした。 近頃、異文化人との接触が多くなってきた私達イヌイット。私も異文化人を一度見たことがある。鼻が高くて堀が深くて、不思議な顔をしていた。研究者とか探検家らしく、私の家にも泊りに来てしまった。 私達がもてなしのためにと、あいにくトナカイや鯨の肉を切らしていたので、食台の上に生魚とコケモモの身を置いて勝手にナイフで切って食べている様子を見た異文化人が、大きな目をさらに大きくして唖然とした顔は、未だに忘れられない。 まあ、彼らは異文化人で、彼らにとっても私達は異文化人だったわけだ。 まるで知らない世界からの訪問者を労(ねぎら)えたのは、私達が彼らに対する恐れと興味と敬意とを並立させていたからであることに他ならない。しかし、やってくる異文化人が抱く感情というのは、興味と新鮮さへの感動であって、彼らは知識に対する開拓精神が豊富であった。あくまでも冒険者で、先を切り開く者だった。 だから、私の住む移動集落の住人達が最終的に抱いたものというのが、畏敬だった。 「早く帰ってきなさい」と、母が言うのにも、納得がいく。もう、大人な私には理解できた。 「……やっとついたわ」 コケモモは背が低い。それが、沢山生えて、雪の上にやっと顔を出していた。この存在が私達の集落をここに留める理由でもあった。 一家庭十個と一日決まっている。私は雪を掘り返して、手袋の上からでもかじかみ気味の手でその数だけ取った。 ……ふと、私はそこで動きを止めた。 どこを見ているのかわからない目をしていたかもしれない。私は、発作の様に空想と思い出の世界に踏み込んでいたのだ。 沢山のコケモモのそばで、一人の少年が私に優しく微笑みかけていた……。雪に染み込んだ鮮赤と着物の欠片……。その先に続く赤のラインと大きな足跡……。 そして、現実に帰ると、その世界は雪原に白く塗りつぶされて、何もなくなった。
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