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浮かない顔のジャックの頬に口付けし、私は白い世界、沢山のコケモモが生える中の一点を一瞥し、それから歩き始めた。
雪は、固まってツルツルして歩きにくいのでスパイクをしっかりとそこに食い込ませる事は忘れず、二十分歩いて私は海沿いの氷原まで来てしまった。モーター付きの舟とか、銛とか、網とか、その他だいぶ道具が機械的で、月の優しい反射光の光で淡く蒼く、それでもギラギラとしている。私はちょっと苛立ってそこから目を逸らし、小さな木舟に目を移した。
懐かしい。アラクと、こんな感じの木舟によく乗って、ただし船止めロープは外さずに遊んだものだ。快晴の昼、アラクが舟に他の大人たちと一緒に乗って、こちらに手を振る光景を、私は幻視した。
普通なら、考えられない。私は、その木舟に乗ってみたいと思ってしまった。久々にあの感じを味わってみたいなんて、馬鹿げた思考に身を委ねて、私は重い身をえいと跳ねさせ、舟に飛び乗った。
ばしゃっ、と、夜空の光の波紋を作る。その中心で揺れる舟の上でバランスをとって、そこに座った。
冷たい潮風は懐かしい匂いで、ぷかぷかと浮かぶ舟と私だけの、透明な空間がどこまでも広がっていた。その透明な空間に私という彩りを溶かし込み、故にどこまでも私だけの世界だった。
ジャックと二人で見るオーロラは美しいけど、私だけで見ていると、残酷な思い出しか蘇らない。アラクは、あれから帰ってこなかった。それに尽きる。私の過去の青春。淡く純粋な初恋の人……。
アラクと見るオーロラの景色は、日常の一つだった。それを失ったことが辛いのだと私は感じた。
ふと、お腹を触る。私の初めての子供が、宿す命がいる。その事実が、なんだか嬉しかった。
いつから、私はアラクが帰ってこないのは私のせいだったと思っていたのだろうか。あの時、私がアラクを呼び止めていたら、なんて思っている。
私は感じる。この赤ん坊は、アラクの代わりなのだ。彼はこうして、新たな生命として帰ってきてくれる……。
私自身、狂っていると思う。だけど、思ってしまった時点でこの考えを変えることはどう苦労しても無理だった。命を失わせた罪を命を誕生させることで贖罪できる。
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