イヴのおくりもの。

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   トマスが見た風景、それは彼が初めて見る世界であった。普段見慣れた景色はまるで新しく、異世界に来たのではと錯覚するほどであった。  風を切りながら空を飛ぶソリ。ぐんぐんとトマスの住む街は遠ざかり、渡り鳥の群れが真横に羽ばたいている。常識では考えられないその光景に、トマスは言葉を失った。 「大丈夫?トマス。寒くない?」  ふわり、とイヴがトマスにブランケットを掛ける。ほのかに香る女の子の匂いにトマスは動揺した。 「………ありがとう」  人差し指で頬を掻きながら恥ずかしそうにぽつりとそう答えるトマスを見て、イヴは微笑んだ。  その屈託のない無邪気な笑顔に、気付けばトマスは少しだけ心が穏やかになっていた。 「えーと…なぁ、イヴ…だっけ?それで、その、俺をどこに連れていく気なんだ?」 「んー、それは着いてからのお楽しみ」  どうやら目的地に着くまで、その詳細は秘密らしい。まぁ、それも別にいいだろう。トマスは気分を入れ替え、滅多に出来ぬその経験を存分に楽しむことにした。  トマスの母親が病気になって以来、トマスはこんなに爽快な思いをしたことはなかった。いつも何かに追われるように、毎日を過ごしていた。日々繰り返す仕事。母親の手術の為にお金を貯める毎日。それはトマスが望んだ事であり、トマスが自らに課せた役割である。  しかし、その代わりにトマスは自分自身の何かを失いつつあった。心身ともに疲労を抱えたトマスにとって、大空を自由に飛び回るのは、実に楽しいひとときであった。 「………ねぇ、トマス。トマスは今、楽しい?」  不意にイヴが口を開く。空を飛んでいる、という点に於いて、トマスは十二分に楽しんでいた。しかし、それはあくまで今だけの話である。  トマスはいつまでも、こうしている訳にはいかないのだ。このソリから降り、イヴと別れ、そしてまたいつもの日常を繰り返すだけの日々が待っているのだ。そう考えると、トマスは首を縦には振れなかった。 「………空を飛ぶのは凄い楽しいよ。けど、どうしても心の底から楽しんでいるのかと言われると、分からないんだ。だって、こうしていても、母さんの病気が治るわけじゃないんだ。だから…」 「そっか…そうだよね。だと思った。だからね、トマス。イヴは考えたの。トマスにとって最高のプレゼントは何かなって」  
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