悲劇

16/31
前へ
/334ページ
次へ
貴彦は時折苦しげな表情をし、見ている者の心を揺さぶった。 母は息子の耳元でたくさん話し掛ける。誰に言われたわけではなく。ただそうしたかった。 只々、回復を祈っていた。 その時、母のバッグの中でメールの着信のバイブ音が響く。母はドキッと驚いたがそのままにした。 次の朝、将一がやってきて、母親に休むように言うがなかなか聞かず、仕方なく秋子を呼び連れて帰るよう言いつけた。 義母の背中を押して病室を出る時、秋子は昨夜の貴彦の様子を思い出し、二人に伝える。 貴彦がなにか譫言を言っていたと。 その日は夕方まで将一が側におり、時折弟の顔を覗いては声を掛けていた。 少し休んだ母が秋子と戻る。 その時、今度は電話の着信らしく、バイブの唸りが母のバッグの中から響いた。 暫くして鳴り止むと、母は、昨夜は二度ほどメールの着信があったようだと告げる。 三人は、仕事関係だろうが、貴彦が出なければ事務所に連絡するだろうからと、放っておくことにした。 実のところ、職場には連絡をしていなかった。家族の誰も事務所関係を把握していなかったからだ。 事件の朝、被害にあった社長が出勤してきた者に伝えると請け負ったと警察から伝え聞いていたし、管理会社や警察から連絡が行く可能性もあるとみていた。 この辺りは成り行きに任せるつもりだった。 今はとにかく、本人の意識が戻ることを祈るしか三人の念頭にはなかったのだ。
/334ページ

最初のコメントを投稿しよう!

300人が本棚に入れています
本棚に追加