悲劇

27/31
前へ
/334ページ
次へ
榊は努めて冷静に言葉を選んでいた。 「小枝さん、実は、三井が怪我を負ったんだ」 小枝はもうひと言も言葉が出てこなかった。発すれば叫んでしまいそうで、口を片手で覆い声を抑えていた。 「…知らせが遅れて済まない」 小枝の返事を待つことなく、榊は続ける。 「N市立病院だ。来られるかい?三井の家族も君に会いたがってるんだが」 貴彦の家族と聞いて理性が働き、小枝は幾らか落ち着きを取り戻す。 小枝の、深く息を吐く音を榊は耳にした。 「榊さん、貴彦さんが怪我をしたのは先週の土曜日なのね?」 声音は弱いものの、しっかりとした口調で尋ねた。 「うん。土曜日の未明だそうだ」 「…今、貴彦さんは動けないか、意識がないのね?」 言葉の最後は涙声だった。 「…うん」 小枝は涙を飲み込み、気丈に言った。 「これから行きます」 「分かった…大丈夫かい?」 「ええ。あの…榊さん?」 「ん?」 「お電話、ありがとう」 榊は表情を和らげて、労るように答える。 「うん…じゃあ、気をつけて」 榊は通話を切ると、携帯を秋子に返した。 「彼女、これから来るそうです」 母と秋子は、榊の言葉だけで通話の内容を殆ど了解しており、榊に深く頷いた。
/334ページ

最初のコメントを投稿しよう!

300人が本棚に入れています
本棚に追加