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優しく抱きしめられていた小枝は、貴彦の母の肩越しにみえる、カーテンの向こうに居るであろう貴彦を思う。
すると、そちらに引き寄せられるようにゆっくり母から離れる。
そしてカーテンの合わせ目から身体を中にさし入れた。
目にした、ベッドに横たわる貴彦の姿は、小枝の想像を越えた痛ましさだった。
「貴彦さん…」
グッと嗚咽を飲み込みながら、手にしていたバッグを取り落とす。
ベッドの脇から貴彦の顔に近づき、もう一度しっかり名前を呼ぶ。
堪えていたものをもう止める術はなく、小枝はボロボロと流れる涙をそのままに、貴彦の耳もとに唇を近づけ三度その名を呼び頬を撫でる。
涙と嗚咽が入り混じり、小枝の声は傍目では何を言っているのか分からない様子を見せていた。
榊たち三人は、気を利かせたと言うより、居たたまれなさから、小枝が落ち着くのをソファーで静かに待っていた。
小枝は何を思ったのか、気丈に気持ちを収めると、貴彦の唇にキスをした。
そして、自分の涙を手の甲でグイッと拭き、もう一度、彼の名を呼び掛ける。
いつもの調子で、何気なく、そして愛しく…。
刹那、貴彦の瞼が細かく震え、唇が動いた。
「貴彦さん、私よ…小枝」
口元が細く開いて、浅く息を吸い込む音のあと、「さ…え…」と貴彦が声を発した。
小枝は驚きと喜びが混在した感情の高まりで震え出す。
小枝は優しく、且つしっかりと声を出す。最早、貴彦の覚醒を確信していた。
(このひとはきっと大丈夫。私を…置いていったりしない…)
「貴彦さん、目を開けて」
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