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小枝は貴彦の顔を愛おしそうに眺める。
そして、少しやつれたその頬を撫でる。
髭は伸びていたが、それほど濃くはなかった。母か看護師が剃ってくれていたかもしれない。
貴彦は小枝の名を呼び、彼女の首筋に手を当てると、彼女も分かって唇を重ねる。
一旦離れはしたものの、また合わせると、夢中になり互いの舌を味わい尽くす。
「小枝…君が欲しくて堪らない…」
唇の隙間から吐息のような貴彦の言葉に、小枝はハッと我に帰る。
「ごめんなさい。こんなこと…いけなかったわ」
小枝は彼から離れると、付いてもない服の皺を伸ばす仕草をする。
「大丈夫だよ。ね、来て…もう僕はその気なんだけど」
そう言うと、貴彦は笑顔を見せて、上掛けの上から自分自身の辺りを指差す。
小枝は慌てて、そして済まなそうに謝ってから、
「身体に障るから…」
と言い、貴彦の額にキスをした。
「明日また来るわ。できるだけ早く」
貴彦は非常に残念がってはいたが、枕元の時計を確認すると、そうも言えない現実を知る。
「…そうだね。今日はありがとう…また明日」
ため息混じりにそう告げ、小枝の手を握りしめた。
小枝はもう一度貴彦の唇にキスを落とすと、愛してるわと囁き、素早くベッドを離れそのまま病室を出て行った。
小枝の思い切りのいい立ち去りの訳を知る貴彦の胸は、彼女への更なる愛情に満ちていた。
そして身体の不調に反し、快復への意欲に燃えてもいたのだった。
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