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だが、彼はそんな帝国臣民の期待に添うことはなく、
とりあえず200年くらい生きた。
その間に彼が行った政策と言うとこれがまた酷いもので、
安政の大獄
蝦夷討伐
治安維持法制定
禁酒法制定
十字軍遠征
これらは全て彼が行った。
この200年間続いた独裁体制の事を、
『え』ぐい ひ『ど』いの二文字をとって
えど幕府という。
彼の死後、政権の座についたのはゴダイゴ天皇の25男、
徳川綱吉であったが、残念ながら彼は犬しか愛せないという性癖を持っており、
51歳の時に、
『生類哀れみの令』を出そうとした際に江戸城の廊下において
浅野内匠上(あさのたくみのかみ)に切り付けられ、殺された。
浅野内匠上は最高裁の判決で無期懲役とお家取り潰しを宣告された。
が、これを不服とする赤穂藩の家臣47名は『日本赤軍』を名乗り日航空機『淀号』をハイジャックし、牢獄に突入。
そののち北朝鮮へと亡命した。
これが、後の『忠臣蔵バスチーユ牢獄襲撃事件』である。
この47士の行動は、偉大なる帝国臣民の共感を呼び、
これに呼応するようにして1970年、大学闘争が始まった。
早稲田大学に立て篭もった彼らは声高らかに徳政令の施行と国家総動員法の制定を求めたが、この時の首相織田信長は
『天下統一』を宣言して、これを武力制圧せんと豊臣秀吉率いる第三白虎隊を派遣。
が、この時彼の部下の一人である大蔵大臣明智光秀が暗殺計画を実行。
首相官邸に侵入し、外務大臣小林一茶、首相秘書の千利休、そして織田信長を次々に射殺し、『昭和維新』を宣言した。
これが、二・二六事件である。
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