ジャパンの歴史は爆発だ!

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二つの総選挙の結果、 衆議院筆頭はAKB総選挙第一位だった卑弥呼、 参議院筆頭はまぐれでじゃんけん大会に勝ち残った下新田の平吉であったから、 どちらが首相になるかは既に決まった事であった。 平吉だった。 平吉はまず源為朝の養子となり自らの名前を源頼朝と改めて、内閣総理大臣に就任。 のち、伊豆半島を外遊中に新党を立ち上げ皇居を襲撃、そして圧勝(五一五事件)。 落ち延びる平清盛率いる『国民の生活が第一』を東海道新幹線で追い、岐阜で下車すると適当なところでこれを迎え撃った。 これが、世に名高い関ヶ原の合戦である。 『国民の生活が第一』は、武田勝頼率いる騎馬隊で良く戦ったが、 所詮、源頼朝配下の精鋭である、 旅順要塞を陥落させた経験を持つ乃木希典陸軍第三軍の敵ではなかった。 機関銃と弓矢で、どちらが勝てるかは想像の通りである。 赤子とマイクタイソンが殴り合いをするようなもので、 開始15分で『国民の生活が第一』は壊滅した(ドーハーの悲劇)。 *『ドーハー』は『どひゃー』と読むことがある。 それでも生き残った『国民の生活が第一の残党』は活路を求めて船で太平洋辺りへと漕ぎ出したが、 結局そのあとは成す統べもなく、 ハワイ辺りでぐるぐるしていた(ミッドウェー回船)。 こうして平家は滅亡し、政権は源頼朝のものになったが、 源頼朝首相は就任二日目、林間田園都市視察中に暗殺された。 これが、林~間(リンカーン)暗殺事件である。 変わって総選挙第一位の卑弥呼がようやく政権に座ったが、彼女が就任した直後に日本はものすごい危機的状況に立たされる。 浦賀に訪れたアメリカ提督ペリーの黒船来航である。 政府は当初『浦賀の事なら浦和レッズに任せよう』としていたが、Jリーグがこれを拒否、 仕方なく卑弥呼は『魏』の国の臣下となり、援軍を求める方針を取った。 が、魏は金ピカの『親魏倭王(《ヒミコは俺の嫁》の意)』というちっこい印鑑を送ってよこすだけでクソの役にもたたず、 『これを投げて戦えというのか』と激怒した卑弥呼は翌年、 アメリカ大統領ジョージ・WWWWWW(ワロス)・ブッシュと日米安全保障条約を結んだ。
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