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 久保はふらふらと立ち上がると、伝い歩きをしてキッチンに向かうと冷蔵庫のドアを開けた。  薄いオレンジ色のランプが優しく顔を照らし出す。  中からはひやりとした空気が、酔って熱くなった肌を撫でていく。  ――どうしたら、この悪い魔法は解けてくれるだろう。  駄々を捏ねる子どもみたいに「行かないでくれ」と泣き縋れたらどれだけ良い事か。  ――だけど。  自分にはそんな資格はなく、ただ祈る事しか出来ない。 (幸せになってくれれば、それだけで良い……。)  それ以上の事は何も望まない。  彼女が幸せになるためなら、この身を差し出しても構わない。  ――そう決めたのだから。  久保は冷蔵庫の中から炭酸水のペットボトルを取り出すと、ギリッと音を立てて蓋を開けて口にした。 『彼女の夢、守ってあげなくて良いの?』  万葉の言葉が重くのしかかってくる。  ――窒息してしまいそう。  昨日は郡山とのやりとりの後も、万葉とは顔を合わせる事なく一日を過ごした。  ――気が重い。  ビジネスライクに考えようとしても、気持ちまではうまく割り切れない。  久保はベッドに横たわると、大の字になったり、横向きになったりして寝返りを打った。  目を瞑ると、どうしたって、この五年間を思い起こしてしまう。  ――晴れの日も、雨の日も。  ――嬉しい日も、哀しい日も。  そのどれもに亜希が居て、彼女を忘れようとすればするほど、彼女の事で頭の中はいっぱいになってしまう。  ――忘れたい。  ――忘れられない。  そして、だんだんと心が磨耗していく。  目を移せば、窓の外はうっすらと白くなり、だんだんと星屑達が姿を消していく。  細い月も白く濁るような輝きに変わっていく。  ――もうすぐ夜が明ける。  亜希が傍にいない日は何日目だろうか。  寝不足の目に朝の白い光は眩しくて、久保は耐え切れずに顔を手で覆った。  ――会いたい。  ――会ってはならない。  顔を掻き毟るみたいにして、指に力が入る。  そして、ずきりと鈍く痛む頭に顔を歪ませた。  ――世界はこんなに凄味をもって美しいのに。  なんて「独り」に冷たいのだろう。  窓から射し込んでくる日の光のあまりの眩しさに、ベッドから起き上がると、カーテンの裾を引いて遮る。
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