第3話

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それ以上聞かずに、とりとめのない話をして店を出た。楽しくて、時間を忘れるくらいだった。 2人ともけっこう気持ち良く酔っぱらっていた。 稲葉をタクシーに乗せてしばらく走っていたら、俺の肩にことんと頭が落ちた。 こいつ・・・・・寝てるよ。 「稲葉・・・・・・・稲葉?」 ゆすってみても全く起きない。 やむなく俺は行き先を変更した。 俺の部屋にしたけど、下心なんか絶対にないからな。酔っぱらった女を襲う趣味なんてないし。自信あるし。 どうにか部屋に入って、稲葉をソファに寝かせた。起きる気配はない。 でもさすがにベッドはまずいだろうという気がした。 しかし、こいつは無防備すぎる。まったく・・・・・俺を誰だと思ってるんだ。 「う・・・・・ん」 稲葉が寝返りをうった。俺はそっと、頬にかかった髪を少しかきあげてやる。 いかん、ここで寝顔を見ているのは・・・・良くない。 俺はシャワーを浴びた。頭をすっきりさせないと危ない気がしてきた。 浴室から出て、ビールの缶を開けると半分くらい飲んだ。 気を・・・・静めよう。 ・・と、稲葉が静かに目を開いた。 ゆっくりと起き上がる。 「ここ・・・どこですか?」 「うん・・・・俺の部屋」 大丈夫か・・・・?と言いながら傍に寄った。 手は・・・出さないからな。たぶん・・・・・。 「先輩・・・私もビール飲みます・・・・」 稲葉は俺の手からビールの缶を取り上げて、一気に飲んだ。 「こら、そんな風に飲むな」 さすがにそれは取り上げようと手を伸ばす。 稲葉はおとなしく缶を渡したけど、顔は上がらなかった。 俺がキッチンから戻っても、稲葉はうつむいたままだった。 眠ったのか・・・・と思って近づくと、うつむいたままの膝に、ポタと水滴が落ちるのが見えた。 「稲葉・・・・?」 声を殺して、ひとりで、稲葉は泣いていた。 そうか・・・・今まで泣けなかったんだな。明るく笑って、はしゃいでいた姿を思い出した。 なんだか俺までひどく悲しくなった。 俺は静かに稲葉の肩を抱いた。ただ慰めてやりたかった。 「1人で泣くな。俺が傍にいるだろ・・・・」 「ごめん・・・なさい・・・・急に・・・泣けて」 稲葉の涙は俺の胸を濡らした。 思わず、背中に回した俺の手に力がこもる。 可哀想に、と思う気持ちは同情か。いや・・・・・違う。 「忘れろ・・・・お前を泣かせる男なんて」 なんか陳腐なせりふだな、と思ったけど本心だ。
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