第3話

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稲葉はいま俺の腕の中にいて、でも他の男のために泣いている。 「忘れたい・・・・忘れたい・・・・けど」 切れ切れに言う稲葉の涙は止まらなかった。俺はどうしたらお前の涙を止めてやれるんだろう。 俺は・・・・・お前を泣かせない。 ゆっくりと身体を離して、稲葉の頬の涙を指で拭った。 「忘れてしまえ」 稲葉は泣き腫らした目を閉じた。 頷いた・・・・・と思う。 落ち着け・・・・と思いながら言った。 「稲葉・・・・俺のこと・・・・嫌・・・・か?」 稲葉は微かに首を横に振った。涙がつ・・・・っと零れおちた。 「忘れ・・・・・たい」 俺は両手で稲葉の頬を包み、そっと唇に触れた。何度も何度も繰り返し唇を重ねて、痺れるような感覚を味わっていた。 「ずっと・・・・お前が・・・・好きだった」 やっと・・・・・手に入れた。 稲葉の髪は優しい香りがした。そして唇は限りなく甘かった。 ************ 寝返りを打って目が覚めた。 少し伸びをすると指先が何かに触れて、意識が覚醒した。 「稲葉・・・・?」 「起こしちゃいました・・・?」 目を上げると、稲葉はベッドのヘッドボードに寄りかかっていた。 毛布を身体に巻いている。 「先輩」 「ん?」 「あ・・・・そのままでいてください」 起き上がろうとした俺を稲葉は押しとどめた。 「先輩・・・ごめんなさい。なんか私・・・甘えてしまった」 「うん・・・いや・・・俺も」 ごめん・・・・って俺が言うことだ。手は出さない・・・はずだった。 でも、甘えられた・・・というのは良いことだ。きっと。 なんかちょっと、じんとした。 「それからシャワーとドライヤーとこれ、乾燥機から借りました」 え?と見上げると、稲葉は俺のTシャツを着ていて、照れくさそうに笑った。 まずい、やられた・・・・。 あわてて視線を戻した。 何か・・・・何か話そう。 「い・・・稲葉。聞いていいか?」 「はい」 「・・・・別れた理由」 顔を見ないで言った。 稲葉の声は思ったよりしっかりしていた。 「あの事故があった時・・・自分の罰だと思いました。あの時・・・私・・・ちょっとパニックに・・・・なって」 「うん・・・・」 確かにあの時、お前は自分をかなり追い込んでた。 「そんな時に言われたんです」 「なんて・・・・?」 「・・・・・・離婚するって」 「ええ?!」 思わず起き上がった。
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