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稲葉はいま俺の腕の中にいて、でも他の男のために泣いている。
「忘れたい・・・・忘れたい・・・・けど」
切れ切れに言う稲葉の涙は止まらなかった。俺はどうしたらお前の涙を止めてやれるんだろう。
俺は・・・・・お前を泣かせない。
ゆっくりと身体を離して、稲葉の頬の涙を指で拭った。
「忘れてしまえ」
稲葉は泣き腫らした目を閉じた。
頷いた・・・・・と思う。
落ち着け・・・・と思いながら言った。
「稲葉・・・・俺のこと・・・・嫌・・・・か?」
稲葉は微かに首を横に振った。涙がつ・・・・っと零れおちた。
「忘れ・・・・・たい」
俺は両手で稲葉の頬を包み、そっと唇に触れた。何度も何度も繰り返し唇を重ねて、痺れるような感覚を味わっていた。
「ずっと・・・・お前が・・・・好きだった」
やっと・・・・・手に入れた。
稲葉の髪は優しい香りがした。そして唇は限りなく甘かった。
************
寝返りを打って目が覚めた。 少し伸びをすると指先が何かに触れて、意識が覚醒した。
「稲葉・・・・?」
「起こしちゃいました・・・?」
目を上げると、稲葉はベッドのヘッドボードに寄りかかっていた。
毛布を身体に巻いている。
「先輩」
「ん?」
「あ・・・・そのままでいてください」
起き上がろうとした俺を稲葉は押しとどめた。
「先輩・・・ごめんなさい。なんか私・・・甘えてしまった」
「うん・・・いや・・・俺も」
ごめん・・・・って俺が言うことだ。手は出さない・・・はずだった。
でも、甘えられた・・・というのは良いことだ。きっと。
なんかちょっと、じんとした。
「それからシャワーとドライヤーとこれ、乾燥機から借りました」
え?と見上げると、稲葉は俺のTシャツを着ていて、照れくさそうに笑った。
まずい、やられた・・・・。
あわてて視線を戻した。
何か・・・・何か話そう。
「い・・・稲葉。聞いていいか?」
「はい」
「・・・・別れた理由」
顔を見ないで言った。
稲葉の声は思ったよりしっかりしていた。
「あの事故があった時・・・自分の罰だと思いました。あの時・・・私・・・ちょっとパニックに・・・・なって」
「うん・・・・」
確かにあの時、お前は自分をかなり追い込んでた。
「そんな時に言われたんです」
「なんて・・・・?」
「・・・・・・離婚するって」
「ええ?!」
思わず起き上がった。
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