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私の名は高城早苗と言います。中学入学、高校入学、その度に私はみじめで嫌な思いをしなければならなかった。入学時に提出しなければならない書類を母は夜遅くまでかかって書いた。朝、娘の私が登校するまでには、いつも、ちゃんと私の机の上に書き終えて置いてあった。保護者の欄には、いつも、母カオルの名前があった。そして、家族の欄には母の名前と私の名前。二つの名前が並んでいた。いや、二つしか無かったのだ。そこには父の名前が無かったから。
そう、私の家は母子家庭だった。公務員だった父は私が産まれてすぐに家を出て行ったらしい。だから、私は父の顏を知らない。父の日に授業で描いた父の顏は私の心の中にしかいない。私と母と三人でいつも楽しそうに暮らしている夢の中の父の顏だった。現実の父は、私と母を捨てた冷酷な悪魔だ。母は何も話さなかったが、あとで人から聞いた話だと、父は、母を捨て、他の女の人のところに行ったらしい。それでも、母は、父に恨み言を言う人ではなかった。いつも寡黙な人だった。それは、生来、母が身体が弱かったからかも知れない。私が産まれた直後には、心臓の手術をしなければならない程だったらしい。母の胸には痛々しい手術の痕があった。その母が亡くなった。遺品を整理していると、古い裁縫箱の中から、父とおぼしき男性との写真と、父からの手紙の束が出てきた。顏には出さなかったが、母は父を愛していたのだろう。だから、思い出の品を捨てられなかったのだ。そんな母を父は捨てた。
母が亡くなって一年が経った時に、どこで母の死を知ったのか?父からの花束が送られてきた。私はその花束を母の霊前にあげることができなかった。ゴミ箱に放り込んだ。しかし、いったん、捨てたものの、どうしても、気になって、花束の送り状を引き出しにしまい込んだ。別に送り状を頼りに父に会いに行くつもりもなかった。しかし、その送り状を捨てたら、父の現在の住所もわからなくなり、父をたどる糸が切れてしまうような気がした。私は父を憎んでいたが、その思いとは裏腹にどこかで父との糸が切れるのを恐れていたのかも知れない。送り状を引き出しにしまいこんだものの、どうするでもなく、歳月は過ぎて行った。
ある日、ふと思い出して、引き出しにしまいこんだ送り状を出して見た。
送り主の父の住所は宮崎県延岡市となっていた。そして、そこは母の郷里でもあった。
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