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 あんなに溢れそうだった涙は、零れなかった。  あたしはあの後しばらく立ち尽くして、時間に気づいて駅に戻って、帰りの列車に乗り込んだ。  やっぱり車内には誰もいなくて、あたしは行きと同じ位置のボックスシートの、通路側に座って、ただぼーっと窓からの眺めを見ていた。  いや、本当はあんまり見ていなかった。目には入ってきたけど、脳までは全然届かなかった。  やっぱり、景色は見づらかった。  ふと、向かいの、窓際の席に目線を移す。  誰もいない。  当たり前なのに、それが正しい姿なのに、なんだか、とても寂しかった。  唐突に、言葉が浮かんできた。  洋が言った、波のせいで、ほとんど聞き取れなかった言葉。  でも、何となく、わかった。  ――俺が空を見たいって言った理由、それってさ……。  続きは、あたしには、こう聞こえた。  ――美晴が、好きだったから。  ――美晴の名前みたいな空が、見たかったんだ……。  波の音に消されて、切れ切れにしか聞こえなかった、大事な言葉。  本当のところは、誰にもわからない。  でも、きっと、合ってる。  だって、あたしもそうだったから。  あたしは、洋が、洋って名前だったから、海に惹かれたんだから。  あたしも、洋が、大好きだったんだから……。  そう思った途端に、さっきは零れなかった涙が溢れてきて、ちょっと驚いたけど、でもあたしは、それを止めようとはしなかった。  どうせ、誰も見ていないんだから。  だから、泣いたって、わめいたって、構わない……。  あたしは、狭いボックスシートの中で、膝を抱えて、大声で泣いた。
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