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「カブラヤオーですか」
「さすがわかるのね」
相変わらずの薄い笑みで『先生』はそんなことを言っていた。
「今から見てもらうのはカブラヤオーのダービー。
たぶん、知ってるよね」
「はい」
そう、見るまでもなく彼はそのレースの内容を知っていた。
カブラヤオーはその圧倒的なスタミナと心肺機能で、スタート直後から他馬をぶっちぎり、一度も先頭を譲らず勝ちきる『大逃げ』という戦法で、
競馬日本一の名誉とされる日本ダービーを見事勝ちきった馬。
そのダービーを見た世代の人々は、いまだにカブラヤオーが最強馬だと言い張って譲らないほど。
特に直線で一度詰め寄られてもそこからもう一度相手を引き離す勝負根性には、
現代の競馬ファンからも厚い支持がある。
『彼』はそんな華々しい活躍をみせたカブラヤオーの
日本ダービーを『先生』と二人でDVDで見た。
やはり、ため息の出るような強さだった。
最初から先頭、最後まで先頭。
『彼』が、こうありたいとかこうなりたいとか思う世界が、
絵にしたようにそこには映っていた。
正直、『彼』は今の状況で見るのが苦しかった。
たぶん、自分にはこの学校において、このようなパフォーマンスを見せれるだけの力はあるのだろう、
ということは『彼』自身もわかっている。
だからこそ、辛い。
「こうありたい」自分の姿が目の前にはっきり見えているのに、
こんなにも華々しい、1位になることの素晴らしさを、
競馬を通じて、ディープインパクトや液晶の向こうのカブラヤオーを通じて知っているのに、
『奴』に対する自分の恐怖心、また対抗するだけの意気地が無いばかりに実現しようともしない。
そんな自分が情けなくてたまらない。
とはいえ、もう今更どう変えることもできない。
トラウマの如く心の壁にこびりついた恐怖心は、生半可な劇薬では剥がれそうもない。
先頭に立つたびに襲ってくる記憶、
蹴られ、殴られ、脅され………
そんなものに、勝てっこない。
わかりきったこと。
でも、勝ってみたいとは思う。
ことに、こんなに素晴らしいレースを見てしまっては。
カブラヤオーのような、強く、美しく駆ける姿を見てしまっては。
ゆえ、『彼』は、辛く、苦しかった。
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