生い立ち

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アタシ・まりなは、昭和48年に東京に生まれましたが、両親の仕事の都合でアタシが生まれた翌日に大阪布施(東大阪市)にある母の実家に移りました。 両親の職業は、父は親方日の丸のパイロットで、母は一流総合商社のエリートでありました。 その当時、母の実家にはひとつ屋根の下にアタシの祖父母とおじ夫婦3組と子供たち16人とアタシの両親とアタシの27人家族が暮らしていました。 両親が共稼ぎで育児ができなかったので、アタシは祖父母に育てられました。 アタシが1歳の時に、両親に連れられて泉北高速鉄道の光明池(こうみょうがいけ)駅の近くにある団地に引っ越しをしてから小学校1年生頃までは大阪で暮らしていました。 アタシがいつも家に帰ってきた時にはひとりぼっちの時ばかりだったので、家族の愛情に恵まれていませんでした。 晩ごはんは、母が『お母さんね忙しいから…』とアタシに言うて、アルミ容器のキンレイの鍋焼きうどんばかりを差し出していました。 そう言うことばかりが続いていたので、アタシは家族そろってごはんを食べた記憶がありませんでした。
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